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神戸家庭裁判所 昭和55年(家)338号 審判

申立人 丸山あけみ

事件本人 木本国男

未成年者 木本弘子 外一名

主文

事件本人の未成年者木本弘子、同木本喜代子に対する親権を喪失せしめる。

理由

1  申立人は主文同旨の審判を求め、その実情の要旨として次のとおり述べた。申立人は事件本人の妻であつた木本清美(以下単に清美という。)の母であり、未成年者木本弘子(以下単に弘子という。)は事件本人及び清美の養女であり、同木本喜代子(以下単に喜代子という。)はその長女であるところ、事件本人と清美の婚姻生活は喜代子の出生した昭和四七年ころには完全に破綻し、事件本人は妻子を遺棄して、神戸市内で女性と同棲して未成年者らの監護を怠つてきたうえ、昭和五四年六月七日、清美が交通事故により死亡したことを知つて再び未成年者両名やこれを事実上監護する申立人のもとを訪れ、その言動からして未成年者を引きとつたうえ同人らの清美死亡による保険金を費消し、或いは監護養育に悪影響を及ぼすこと明らかであるので、本申立に及んだ。

2  当庁家庭裁判所調査官○○○○作成の調査報告書並びに電話聴取書(二通)、事件本人、申立人の戸籍謄本、明石市福祉事務所長作成の回答書、自動車安全運転センター兵庫県事務所長作成の交通事故証明書、兵庫県建築部住宅管理課長作成の入居許可通知書、兵庫県知事作成の県営住宅入居許可書、神戸市○○福祉事務所長作成の保育所入所決定通知書、当庁昭和四八年(家イ)第一一四〇号事件記録に添付の申立書及び調査報告書のほか、当裁判所の申立人、未成年者弘子、事件本人、丸山一男に対する各審問の結果を綜合すると、次の事実が認められる。

(1)  申立人は、夫久一との間に清美ほか四名の子供をもうけたが、長女清美(昭和九年七月一二日生)は昭和二八年兵庫県下の高校を卒業後三、四年間は神戸市内のデパート等に勤務したものの肺結核に罹患して約五年間にわたつて自宅療養し、昭和三七年ころから再び保険外交員として稼働するようになつた。折から清美の弟である丸山一男は妻と離婚して長女弘子を引き取つていたが、すでに婚期も逸していた清美は姪である弘子に愛情を注ぎ遂には同女を引きとつて昭和四三年ころから事実上の養女として二人で生活を送るようになり、翌四四年五月七日同女と正式に養子縁組を了するまでになつた。しかしながら、清美は、間もなく当時富山の売薬の行商をしていた事件本人と知り合い同年秋ころからは同棲するようになつて、その後喜代子を懐胎したため、親の反対を押し切つて事件本人との結婚に踏み切る決意をし、喜代子を分娩する二日前の昭和四七年一〇月七日に婚姻の届出を了するとともに事件本人の同意を得て弘子と事件本人との養子縁組をも了して四人で平穏な生活を送るかに思われた。

(2)  しかしながら時を同じくしてそのころから、事件本人は競輪、麻雀に凝つて帰宅時間も遅くなり、或いは家をあけ、遂にはあまり家に寄りつかなくなり、昭和四八年六月以降は月額二万円程度の生活費しか入れなかつたうえ、他所からの借財を重ね、加えて金がなくなつて帰宅した際、清美に対して度々暴力行為に及んだため、昭和四八年一〇月ころ清美は遂に子供を連れて家を出て親戚や友人宅を転々とし、同年一一月一四日当庁に対し夫婦関係調整(離婚)を求めて調停の申立てをなしたが、翌四九年三月一二日右事件は不成立となつて終了した。

(3)  以来事件本人と清美との婚姻生活は完全に破綻して、事件本人の所在はその連絡先は別として清美には不明となり、勿論養育費を含む婚姻費用の送金もなく、清美は未成年者両名を伴つて明石市○○○の「母子世帯向」県営住宅に応募して入居を許され、昼間は喜代子を、福祉事務所を通じて入園させた保育所に預けてスーパーマーケットで稼働する収入と、母である申立人からの月々の援助を頼りに、又昭和五二年七月からは準母子家庭として児童扶養手当の支給を受けて生活を送るようになつた。清美は、以来事件本人と別居して七年間経過すれば離婚が成立するものと信じて疑わず、その到来を心待ちにしていたが、昭和五四年六月九日交通事故により不慮の死を遂げ、その後は同人らと同居していた申立人が未成年者両名の養育にあたつて今日に至つている。

(4)  未成年者弘子は現在中学二年生、同喜代子は小学校二年生に在学中であるが、上記のとおり幼い頃から(喜代子は一、二歳時から)事件本人とは没交渉であつたため、事件本人が父であることは全く知らず、これまでの周囲の配慮もあつて父親はすでに死亡したものと信じ、唯一の頼りとした清美の死亡による精神的なショックからも漸く立ち直り、上記のとおり申立人に養育され平穏な日常生活を送つている。

(5)  事件本人の供述によると、事件本人は現在大阪市内の貴金属会社の相談役をして月収約一五万円を得ている他、元来の職業であつた売薬の商売を若い者にやらせて名義料を得ているが、住所は一定していないと述べており、当裁判所にもその職業や、定居所はつまびらかでない。(なお当裁判所も現在事件本人との連絡は肩書住所地記載の事件本人の叔父を通じる他ない状況にある。)事件本人は、清美の死亡を知つて、昭和五四年八月一五日に初めて申立人に連絡をとり、当初清美死亡による保険金請求手続に協力するとの態度を示したが、その後直接加害者に会わせるよう要求し、遂には二、三人の者を伴つて加害者宅に押しかけて○○警察署の警察官がかけつけるなどしたことがあり、昭和五五年二月初には申立人ら不知の内に直接保険会社を訪れて保険金請求手続の教示を受け、当裁判所が事件本人に対して、親権者の職務執行停止の仮処分(当庁昭和五五年(家ロ)第一八号)をとつた後の同年五月九日、配偶者としての保険金五七六万三三三三円を受領し、なお親権者として未成年者両名を引き取りたいとの意向を有しているが、本件申立に関しては、申立人などに対し、「自分の子を育てさせやがつて」「弟の子の面倒を見させやがつて」として極端な感情を示している。

(6)  申立人は、現在末弟の営む建設会社の非常勤役員としての収入と、厚生年金等を受け、昭和五三年暮ころからは未成年者らと同居し、清美の死亡後は引き続き未成年者両名の監護養育にあたり、事件本人に対してはこれまでの行動から抜き難い不信感を示し、今後未成年者両名の引渡しの要求があつてもこれに応じる気持ちがない。

3  およそ、未成年の子を有する夫婦間において、正常な婚姻生活が維持できない場合、離婚による最終的な決着をみた場合は、夫婦のいずれかが親権者となり、反面親権者とならなかつた他方は、未成年者に対する扶養義務はさておいても、当面の身上監護義務からは解放されるが、離婚に至らず別居状態を継続している場合は、今なお夫婦とも共同親権者としての義務を負い、子の監護につき特段の事情或いは特約がある場合は別論として、その別居に至る経過、別居生活の実情、双方の生活の実態に応じて、子の福祉を維持するための親権者としての義務を全うするための方途が講ぜられるべきものであることは当然である。事件本人は、この点、清美には年に二、三回会つてきた、子供の入学祝を与えたなどと主張し、清美の死亡した現在、その真偽は確定し得ないが、少なくとも、前記認定のとおり別居後七年間にわたり、未成年者の養育監護は、事件本人により一顧だにされることなく、清美一人の手によることを余儀なくされ、未成年者と事件本人との間には親子としての形式的な交流さえもなかつたこと明らかであり、未成年者両名は長年にわたり親権者である事件本人から遺棄されてきたものと言わざるを得ず、結果的に事件本人により未成年者両名の福祉が害されたものであり、右は親権の消極的な濫用にあたるものと認められる。

よつて、未成年者両名に対する事件本人の親権の喪失を求める本件申立は理由があるので民法八三四条、家事審判法九条により主文のとおり審判する。

(家事審判官 渡辺安一)

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